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高橋武一(たかはし ぶいち)君は1973年岐阜県の生まれ。
今は西宮市今津に住む、31才のペンキ屋さんである。
1985年の優勝時、テレビで見るタイガースの勇姿に憧れ、阪神ファンとなる。
24才の年、故郷・岐阜を出て宝塚にあるペンキ屋の親方の家で住み込みを始めるが、関西には友人がおらず、休みの日が来ても一緒に出かけてくれる人は誰もいなかった。そこで寂しさをまぎらわそうと、ひとりで訪れた甲子園球場が彼の人生を変えることになる。タイガースの魅力にとりつかれた彼は、ひたすら球場に通い続けるようになり、2002年には、仕事で休めない土曜のデーゲーム以外の、甲子園での全ての試合を観戦するようになった。この頃は単なる一ファンとして球場に来ていたが、2003年春、どうせ毎日通い詰めるならば私設応援団の一員として、あの大観衆をリードしてみたいとの気持ちを抑えきれず入団の決心をする。
しかし阪神タイガース私設応援団は、入りたいと言えばすぐに入れてくれるような組織ではない。入会には推薦人と保証人が必要であり、審査もおこなわれる。常連となっている居酒屋「虎」のマスター大平洋一郎氏(私設応援団常任理事)の推薦のおかげもあり、2003年5月、武一君は晴れて団員として迎えられた。甲子園ライトスタンドでは3回の攻撃終了後、応援団員が通路に集まってミーティングをするのだが、その時に初めて黄色と黒のジャージを渡されたときの感動はいまでも忘れられない。
応援団というと、一般の方々から「球団から雇われている」と思われることもあるが、それはとんでもない誤解である。彼らは全員自分の仕事を持ち、ボランティアで応援の指揮をしている。平日の試合でも30人程度のメンバーが集まるが、仕事を終えてからやってくるので球場に到着する時間もまちまちだ。大きく分けて、リーダー・太鼓・トランペットの3部門(隊)があり、武一君はリーダー隊に入っているが、トランペットもただいま特訓中とのこと。
ライトスタンドの最前列に立ち、応援を指揮するのだが、応援団用のお立ち台があるわけではない。鉄柵と呼ばれる手すりの角、90度に曲がっている部分に両足を「ハ」の字に開いて乗り、バランスをとりながら立ち、手拍子をとったりして応援をリードする。風が強い日には注意していても身体がぐらつくという。鉄柵から前に(観客に向かって)落ちればまだ良いが、後ろに落ちたら通路まで2mの高さがあり、大ケガをする恐れすらある危険な役割だ。
武一君はサイドと呼ばれる一塁アルプス席に近い方のエリアで、リードをおこなっている。外野席中央でセンターリーダーと呼ばれる人が全ての指揮を執る。サイドのリーダーは、センターリーダーの動きや展開を、目線と指サインで受けとり、自分のエリアの観客に正確に伝えるのが役割だ。あれだけの大観衆を一糸乱れず、声を揃え、動きを揃えさせることは至難の業。団員全員の気持ちが一つになっているからこそ出来ることだ。
その日、応援に集まる団員が少ないと鉄柵に立つ回数も増え、疲労は増す。4時間を超す長時間試合で負けると、口もきけないほど疲れるが、試合が終わっても、太鼓・旗・横断幕・ボードなどを倉庫まで片づけに行かねばならない。現在は甲子園から歩いて帰れる場所で一人住まいをはじめ、すべてをタイガースに賭ける生活をしている。
つらいことばかりで見返りなど何もないが、自分のリードによって、大勢の人を思いのまま動かせたとき、身体中を快感が走るという。タイガースが勝って皆で六甲颪を唄うのは最高の気分だ。「試合に行けなかった日はあるの?」との質問に、武一君は、「そうですね。姉が結婚した日と、ヘルニアで腰を痛めた日と…」と答える。要するに、「どうしても行けない日以外は、必ず行く」のだ。
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