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野崎蓁一郎(のざき しんいちろう)さんは昭和2年、奈良県吉野の山村生まれ。
現在は大阪にお住まいである。
少年の頃は戦時中でもあり、田舎育ちで野球のことなど何も知らなかった。戦後再開されたラジオの野球中継を聞くうち、次第にプロ野球に興味を持つようになった。テレビのない時代、ルールの解説を交えながら、選手の一挙一動まで細やかな描写の放送に耳を傾けた。
初めて球場を訪れた時、ラジオ中継で想像していたとおりの試合運びに、そのまま野球のとりこになった。
社会人となってからは甲子園だけでなく、大阪球場・西宮・藤井寺球場・日生球場へ在阪球団(南海、近鉄、阪急)の試合にも出かけた。特に近鉄バッファローズは、球団創設(1952年)から消滅までを見届けたことになる。西宮球場でおこなわれた第2回オールスター・ゲーム、藤村富美男や村山実の引退試合、阪神タイガースの4度のリーグ優勝(1962年、64年、85年、昨年)をはじめ、関西球団の日本シリーズ、日米野球にも出かけている。当時の入場券や新聞、色紙、サインボールも保存しており、友人からTV番組「なんでも鑑定団」に出してはと勧められるそうだ。
定年退職後は、甲子園球場の年間指定席を取得し、気兼ねなく阪神の試合を見守り続けている。2000年には甲子園全試合観戦を果たした。
昭和45年(1970年)6月からスコアを付けはじめ、その間にたまったスコアブックはざっと70冊。
試合の中で一投一打に狂喜乱舞しても後日何も覚えていないことが多く、「その試合の状況が後になっても鮮明に思い出せるように」とスコアを付け始めたとか。
はじめは簡単なメモ程度であったが、次第に一球ごとの判定(時には球種も)を記入するようになり、新聞のスポーツ面のスクラップを貼り、試合の感想まで記入するようになった。
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